【生い立ちの記録 #7】Episode2|仔猫と手紙と、唯一の友だち

03-生い立ちの記録

桜の季節になるたび、
思い出す帰り道がある。

あの頃の私は、
まだ“居場所”というものを、うまく見つけられずにいた。

食べきれずに残した記憶

両親と新たな場所での生活が始まったが、なかなか保育所に馴染めず、ぐずってばかりいたという。

保育所の頃の記憶がある。

昼食をすべて食べきれず、廊下の円柱の前に座らされていた。

真横では二人の先生が話に花を咲かせている。
後ろのお遊戯広場では皆が紙芝居を楽しんでいる。

柱と弁当箱と、食べきれずに残った食べ物を見つめながら、時間だけが過ぎていく。
毎日、ご飯だけは自宅から持参していた。

先生の目を盗んで弁当箱にさっと押し込み、食べ終わったことにして伝える。
それが習慣になっていた。

小学校でも相変わらず居残りさせられていた。

給食の盛り付け当番の同級生に、

「少しの量にしてほしい」

とお願いしてみても、

「みんなと同じじゃないとダメです」

とはね返された。

もともと、
家族が仲良く食卓を囲んでいる印象が残っていない。
記憶に残っていないだけなのだろうか。

祖父母宅へ帰省するときの食事も、お店で楽しかった思い出がない。

かき込むように食べ終わり、さっさとお店を後にする。

祖父の葬儀のときも、家中に近所のおばさんたちが手伝いに入り、静かな空間がなかった。

「食べなさい」「食べなさい」「食べなさい」
という声ばかりが耳に入る。
喉に物が通っていかない。

明確な理由はわからないまま、人との食事が今でもできない。

体調を崩しやすく、小学校に上がっても休みがちだった。

小学校の卒業式を終え、
誕生日を迎えた数日後、
祖父が他界した。

中学入学を控えた頃、母は祖父を亡くして精神状態が不安定になった祖母の世話をするため、ひと月近く家を空けた。

その頃の記憶が曖昧で、どう生活していたのかわからない。

足取りはとても重かった

四月末頃から家から出たくなくなり、学校へ行かなくなってしまった。

ほぼ通学できなかった中学校の卒業式を皆が終えたあと、卒業証書を授与するため特別に設けていただいた。

小学校の卒業式の、少し希望に満ちていた春の眩しさとは違い、ほぼ袖を通すことのなかった制服を着て、母と二人で中学校へ向かった。

足取りはとても重かった。

中学校のアルバムには、制服を着て自宅で撮った写真が、皆と同じように自然な形で収められている。

別撮りの写真が隅に追いやられることなく、きちんと作っていただいた。

その心遣いが、今も心に残っている。

そっと、距離を置いた

中学校を卒業してしばらく経った頃、小学校でよく家に遊びに行っていた友だちから電話が入った。

中学校では一度も同じクラスにならず、それぞれ別の道を歩んでいた。

流行りの映画の話で盛り上がり、一緒に見に行かないかと誘ってくれたけれど、緊張から断ってしまった。

それからは文通でやり取りが始まった。

生まれたての仔猫を譲り受けたり、
十八歳で免許を取ったと助手席に乗せて初ドライブに連れて行ってくれたり。

その子が二十五歳頃にご結婚されて、お子さんが生まれる頃まで文通が続いた、唯一の友だちだった。

とても思いやりのある、優しい人だった。

けれど、本当の闇の部分を語ることはできなかった。

普通ではない私との付き合いに負担をかけているのではないかと、二十代後半頃から体調の思わしくない日が増え目眩で寝込む日々に、迷惑をかけていると思い、私から距離を置いてしまった。

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03-生い立ちの記録
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琇夏

2025年5月「第8回 人生十人十色大賞」長編部門へ応募。
出版社からの電話をきっかけに、2026年3月より、原稿用紙3枚ずつ綴る形で投稿を始めました。
noteでは、原稿用紙には書かなかった内容もあわせて綴っています。
少しずつ、記録として残しています。

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