唯一と呼べる人との繋がりを、静かに手放した。
時間を少し戻すと、その頃の家の中にも、
重なるように変化が起きていた。
狭い四畳半の夜に
中学を卒業してほどなく、母は月に一度、六時間かけて帰郷していた。
祖父が他界してから五年近く、祖母が一人で暮らしていたからだ。
その頃の記憶はなんとなくあり、母が留守の間はいつも家のことを自分がしていた気がする。
母が帰ってくるたびに愚痴をこぼしていた自分が、今では恥ずかしい。
やがて祖母の足腰が悪くなり、一人では暮らせなくなった。
市営住宅の狭い部屋で一緒に暮らすことになった。
借金が多額にあり、母はフルタイムで働きに出て、家のことは私がしていた。
襖一枚を隔てた狭い四畳半。
祖母が隣にいるから大きな音も立てられない。
そんな中で楽しみだったのは、家族みんなが寝静まった夜遅くに、静かな部屋で刺繍をしたり、文通相手への手紙を書いたりすることだった。
狭い市営住宅から借家へと考え、両親と祖母と私で父の運転する車に乗り、借家探しをする日々が続いた。
なかなか条件に合う借家が見つからず、父の勤め先の会社のお世話で家を購入する話に発展し、父と母の共同名義でローンの審査が通った。
新築の家に引っ越すことができた。
この物件が普通ではないことに気づきもせず、しばらくの幸せを享受していた。
引っ越して一か月ほど経った頃、父の働いていた建築会社が倒産した。
当時の私は知らなかったけれど、父は母に「自己破産したら暮らしていけなくなり子どもたちにも影響が出る」と言い、祖母の年金から工面しながら、私を事務として名義上のクレジットカードを作らせ、お金に困るたびそのカードで工面していた。
事務として扱ってくれることは、ついぞなかった。
この頃の祖母は、トイレには一人で行けたけれど、ほぼ寝たきりの生活だった。
母は祖母の介護に当たっていた。
両手を振れなかった
引っ越して間もない頃、いつも通り祖母の部屋で母と朝食をとっていると、突然母の叫ぶ声が聞こえた。
急いで駆け込むと、祖母の手がだらりと垂れ、必死に支えている母の姿が目に入った。急いで救急車を呼んだ。
初めてのことに手が震えた。
名前、住所、症状を伝えたあと、そのまま玄関前まで来てくれると思っていたら、思いがけず「家がどこかわかりにくいので教えてほしい」と言われた。
住んでいた場所は新興住宅街で、周辺はまだ売地の空き地ばかりだった。
宅配便でさえ目印を聞かれるような場所で、これといった目印が言えず、
「では外で誘導してください」
と言われ、ギョッとした。
サイレンが近づいてくる。
玄関のドアを開けて道路に出ると、一キロ先に救急車が見えた。
と同時に、畑で話し込んでいたおばあちゃん二人が、救急車と道路に立つ私を交互に首を振りながら見ていた。
本来なら「こっちこっち」と両手を大きく振るべきだった。
それができなかった。
それでも私の姿が見えたのか、すぐに到着してくれた。
祖母は脳梗塞だった。
大学病院へ救急搬送され、その日から寝たきりのまま入院が続いた。
自宅での看病は難しいと判断され、介護療養型医療施設へ移ることになった。
後になって思えば、認知症の症状もあったのかもしれない。
母によれば、祖母は怒り出すと親戚中が凍りつくほど気性が激しかったという。
一緒に暮らし始めてからは、いつ怒り出すかとびくびくしながら過ごしていた。
気が休まるときはなかった。
その後の家庭内も荒れていたこともあり、祖母との記憶は薄らいでいる。
祖母が施設へ移ってから、母はパートへ出て、家事全般を私が担うようになった。
施設での療養が数年続いた頃、
祖母名義のままになっていた生家をどうするかという話が持ち上がった。
町役場を早期退職後に司法書士の資格を取った母の従兄弟、森徳昌さんが間に入ってくれて、「生活が苦しく空き家を探している」という方に売ることになった。
当時は空き家バンクなどなく、母の叔父たちが全て手配してくれた。
荷物が大量に残ったままの家を「助かった」と言って快く買い取っていただけた。
それと同時に、お墓の移転手続きもしていただいた。
家を売ったお金で、お墓を建てることができた。
お墓を建てた翌年に
翌年の税金については、叔母の丘季代さんは通知が来ていたにもかかわらず支払いを拒否し、母が分割で全額支払った。
叔母が払えない家庭環境では決してない。
むしろ羨ましいほどの暮らしをしている。
私が小学校の頃、いつもおしゃれなハイヒールに素敵な服装、さらさらのストレートパーマに格好いい車に乗っていた叔母が眩しかった。
母と祖母は叔母のことを「四年制の大学を出て〜」という言葉でよく嘆いていた。
叔母の行動が理解できないときの、決まり文句だった。
母は勉強が苦手で、祖父に無理に勧められた女子校を卒業後、トレースの仕事に就きたくて習っていたけれど、家庭環境のために諦めることになったと話していた。
お墓を無事に移転して建てた、その翌年、祖母が他界した。
*
次を読む →


コメント