なかなか連絡が来なくなった
呼び鈴をしても反応がなく、近所の人に声をかけてみると、その工務店は廃業して今は同県の実家のほうへ行っているとのことだった。
寂れた感じはしなかったのに。
この物件も諦めることとなった。後にGoogleマップで見てみると、競売で出されていた頃の雰囲気より明るく、屋根がきれいにリフォームされて素敵に蘇っていた。
どちらの物件も無理になり、同じ東方位の競売物件があった家の裏手の丘陵地を越えると、開拓された分譲地帯に売りには出されていない空き家が目立つ地域があった。
周りが畑と山で囲まれた気の要らなさそうな、こぢんまりしたお家があり、登記簿を調べると持ち主はふたつの市町村をまたいだ場所に暮らしている様子だった。
古いGoogleマップにはその家の畑部分に売り看板が立てられていて、その不動産屋さんに問い合わせると畑部分はすでに売却済みとわかった。
家の交渉に、なんとかおじいさんにお願いしてみると、近くにご親戚が飲食店を営んでいるからそこに聞いてみたらと勧めてくれた。
ところが行ってみると閉まっており、もう営業していない様子を伝えると、それ以来おじいさんからなかなか連絡が来なくなってしまった。
引っ越さなければならない日が迫り、泣く泣く空き家探しを一旦保留にして借家探しに切り替えることになった。父の仕事道具が入る倉庫付きの一戸建て賃貸を条件に探し始めると、急に父が、
住民票を見て初めて知った
「あの借家はどうなった」
と言い出した。
家を手放すと決めた頃、空き家バンクに条件の良い二軒連なった戸建て住宅の賃貸が出ており、慎人が内見に付き添うと言ってくれていたのに、父は行こうとしなかった。
今更と内心思いながら呆れた。いつもギリギリになって切羽詰まる父だった。
毎日新着情報を確認していると、春の時期に東方位で日当たりと見晴らしの良い物件が出ていた。
すぐに問い合わせると先客が一名いると聞いて不安になったけれど、内見予約を入れておいた。内見当日、先客がキャンセルしたということで、わが家が契約できることになった。
審査があり、慎人が保証人を承諾してくれた。うれしかった。けれど仕事終わりの慎人が手にしていた住民票に目が行き、知らない間に住所の転出がされていたことに寂しさを感じた。
引っ越したのだから当然なのに、どんなところで暮らしているのか一切話し合いがなく、住民票を見て初めてわかったことが切なかった。
審査の結果は
俺は出ていくから
「今回は残念ですが」と、通らなかった。
父が見つけてきたという古い戸建て住宅、入居者募集中の看板が立てかけてあるのを車で通った際に見つけたとのことで、間取り図を見ると気の休まらない造りだった。
廊下がなく玄関を開けるとすぐに部屋で、小さいうえに壁が少なく浴室にすら壁がなかった。
一時しのぎの物件としても住みたくなかった。しかも方位が最大凶の五黄殺に当たっており、避けたかった。
当時、兄も一緒に住んでいた。借家へ引っ越す話をすると、
「俺は出ていくから」
と言われ、父と母と私の三人で暮らすことになった。
家を手放す話になった年の暮れ、慎人は必要な荷物だけを持って出ていった。
家がなくなる悲しさより、
家族が話し合いなくバラバラになっていくことが切なかった。
寂しさと、あの借家で暮らすのかという憂鬱な気持ちが重なっていた。
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