【生い立ちの記録 #11】Episode6|なんとか、生きている

03-生い立ちの記録

あの頃は、
外のことも、
内側のことも、同時に重なっていた。


気づかないふりをしながら、それでもなんとか、日々をやり過ごしていた。

この木になりたいと思った

慎人は当時、わが家に一台しかないパソコンを使いたがり、度々私の部屋に来てはオンラインゲームをしていた。

毎日では辛く、中古のパソコンをもう一台購入することになり、リビングに置くと、しばらく父と慎人の取り合いになった。

慎人はアルバイトの面接に行っても受からず、やがて父と一緒に大工の仕事をするようになった。

けれど全くの素人で、父が指導することも皆無だった。

父が不機嫌になるたび、慎人との間を取り持つのが常だった。

あまりの激怒が続くなかで、慎人は母に対して、

「俺、嫌われているのかな」

と嘆くこともあったという。

その度に励ましながら、なんとか父と仕事をこなす日々だった。

この頃の慎人は、どちらかというと自信のない様子だった。

私自身はというと、
二十代後半に心身のバランスを崩し、数年間塞ぎ込む時期があった。

日常生活もままならない重苦しい状態になってしまった。

もともと万全ではなかった状態が、さらに悪化していた。

和哉は始めは父との仕事を頑張っていたが、次第に夜型の生活になっていった。

私が眠りにつく頃に帰ってきて、深夜零時を過ぎてから掃除を始めることがたびたびあった。

真上が和哉の部屋だったため、ベッドをずらすガーガーという音や足音が耳栓をしても聞こえてくる。

眠れない夜が続き、丸三日眠れない日もあり、精神が限界を迎えてしまった。

初めて母に睡眠薬を買ってきてもらって飲んだとき、引き込まれるように眠ることができた。

けれど目が覚めると、得体のしれない不安が押し寄せ、一人でいることが怖く涙が止まらなかった。

食事もまともに喉を通らず体重が減り、歩くとふらついてベッドに寝続ける日々を過ごした。

窓の外をぼんやり眺めながら、カーテン越しに見える庭木を見て「この木になりたい」と思うようになっていた。

理由もわからず朝から激しい吐き気に襲われ、胃薬で対処しようとしたが効かなかった。

冷や汗と悪心、恐怖心が重なり、たまらず慎人に電話して戻ってきてもらおうかと頭をよぎったけれど、迷惑をかけると思い電話する勇気が出なかった。

中学から不登校になり、これといったことをするわけでもなく家の中でできることをしながら過ごすなか、いつも引け目と負い目を感じ、朝の時間が苦手だった。

家族が皆仕事へ出ると、なんだか落ち着いていた。

家のゴタゴタに追われ、自分が何をして生きたいのかもわからないまま生きていた。

今は身体を動かせるまで回復し、なんとか生きている日々だ。

今の現実もとても厳しく、健全と言えるほどの自信はない。

心身を病んで塞ぎ込んでいた頃から数年が経ち、母は年金の受給手続きに追われていた。

生まれつきの難聴があり、六級の身体障害者手帳を持っていた母だったが、年金センターで手続きをしている際に担当してくれた年配の男性が会話の不自然さに気づき、障害年金の申請についても教えてくれた。

耳鼻科へ行き様々な手続きを経て、二級の聴覚障害の認定を受けた。

母の片耳は、完全に聞こえなくなっていた。

隠れていないだろうな

この頃、父と慎人は新たな建築会社で働き始め、夏の間、一か月ほど県外に泊まり込みの仕事をしていた。

ある日の昼前、父から電話が入った。

うろたえた声で話す言葉が、なかなか頭に入ってこない。

じっくり聞いていると、
慎人が機械で手を誤って怪我をし、救急搬送されたという。

大丈夫なのか気が気でなかった。

その日の夜遅くに急遽、二人は自宅へ帰宅した。

翌日、慎人は市内の病院に入院することになり、思っていた以上に深刻で、一か月に及ぶ入院生活となった。

父は一人で泊まり込みの仕事をこなすことになった。

この会社に入れたのも、以前の現場で父が突然心筋梗塞で倒れ入院し、その会社を辞めざるを得なくなったことがきっかけだった。

その時、一緒に仕事をしていた慎人が介抱してくれていた。

あの電話があった時は、この先どうなってしまうのかと不安はあったけれど、母と慎人がいるからか、なんとか協力し合うことができた。

きっと慎人が、父を含め、一番辛い時期を過ごしていたのだろう。

慎人の入院費が気になり聞いてみると、

「大丈夫」

としか言わなかった。

何が大丈夫なのか、どう支払っていくのか、一切話し合いがなかった。

年が明けると、父は仕事へ行かず部屋に籠る日が続いた。

不機嫌なまま何も言わず、どうすればいいかわからないまま、慎人が一人で仕事をこなすことになった。

「会社になんて言えばいいんだ」

と慎人は困り果て、とりあえず

「体調が良くない」

と伝えるしかなかった。

ある日、慎人から急に電話が入った。

父が仕事に来ないことを、

「今から社長が家まで来るって」

と言う。

母が

「来られても、お父さんは今いないよ」

と伝えても、「行くから」としか言わない。

仕事のことはほとんど知らないから、何が起きているのかさっぱりわからないまま、社長が来るのを待つしかなかった。

チャイムが鳴り、母が

「主人はおりません」

と告げると、

「隠れていないだろうな」

という言葉が聞こえた。

これが社長なのか、という態度に驚いた。

そのまま帰るのかと思っていたら、家に上がり込んできた。

リビングで母と話し合っていたが、解決のないまま帰っていった。

別の場所で話し合う場を設けることもできなかったのだろうか。

慎人も一緒に仕事をしているのに、なんの予告もなくこのような態度で突然現れて、何も解決せずに去っていった。

空き家を探して生きていかないか

それからも父は何も言わないまま、耐える日々が続いた。

このままではまともな生活が成り立たないと、もうこれ以上、家を維持していくことは無理だと、母が父に語りかけた。

「空き家を探して、なんとか生活していかないか」

ようやく微かに返事が返ってきた。

父の本当の望みはわからないまま、家を手放す手続きを進めることになった。

そのことを母が兄に話すと、「働けや」としか言わなかった。

何が起きてどうなったのか、事情を聞こうともしない兄。

今となっては、何も相談せずに突然仕事を辞めてしまう父の行動に対して兄が言っていたその言葉の意味がわかる気がする。

相談してくれていたら、もっと家族で解決できたのではないか、助け合えたのではないかと思う。

家族で本気で話し合ったことなど、一度もないわが家。

でも、駄目だとわかりつつ、話し合いたいとも思えない自分もいる。

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琇夏

2025年5月「第8回 人生十人十色大賞」長編部門へ応募。
出版社からの電話をきっかけに、2026年3月より、原稿用紙3枚ずつ綴る形で投稿を始めました。
noteでは、原稿用紙には書かなかった内容もあわせて綴っています。
少しずつ、記録として残しています。

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