手紙の向こうに、
ずっと母がいた。
どんなに心細くても、
その繋がりだけが、前へ進む力になっていた。
話がいつも二転三転して
「俺は、一緒に住まないから小さい家でいいよ」
「えっ」
「あれ、お母さんから聞いていなかった?」
笑いながら伝えてくる。
「いや、聞いているよ」
こうすることにしたよ、と普通に話せないのか。
人の腹を探るような会話にいつも納得がいかないまま終わってしまう。
話し終わったあとに毎回それに気づく自分が嫌になる。でも人は鏡だというから、私も相手にそう思わせているのかもしれない。
入院前から体調が思わしくなかった母は、慎人が「別のところに行くわ」と伝えたとき、
「そんなこと言うな」
と答えたと、悲しげに話していたことを思い出した。
当初は「俺しかおらんやろ」と期待を持たせるようなことを言っていたのに、状況の変化を話してくれず、話がいつも二転三転して本心が掴めない。
家の事情を根掘り葉掘り聞いてくることに母が疑問を感じ、なぜそこまで聞くのかと問うと、はぐらかす慎人に母は忠告していた。
自分のこととなると一切言わず、ごまかす。
慎人はもともと、そんなに家のことを聞いてくるほうではなかった。
アルバイトの面接の際に履歴書の書き方さえ、大丈夫かと思うほど心もとなく手を焼いていた頃の慎人だった。
父が仕事を勝手に辞めてしまったとき、慎人に対して父は、
「好きなようにすればいいよ」
と言っていた。
せめて、家を手放して落ち着いてから別々に暮らしてほしかった。
ベッドに倒れ込んだ
空き家探しの話がひと通り終わったと思ったら、慎人は急に話を変えた。
父とは別々に仕事をするようになり、遠く離れた場所で暮らしていた慎人が、その年初めての確定申告をどうすればいいかと相談してきたのだ。
けれどそのとき、父が近所の病院へ母を連れて行き、即座に大学病院へ緊急搬送され、術後の回復次第では次の手術も控えているという状況で、母がいつどうなるかわからない状態だった。
慎人の相談に乗る余裕など、とてもなかった。それでも一時間近く電話をしていた。
電話を終えると体が重く、ベッドに倒れ込んだ。
もっと母のことを、病院へ持って行くものや父には話しにくいことも話したかったけれど、別々に暮らし始めて生活に必死な慎人に頼むのは仕方がないと諦めるしかなかった。
母と一緒にできることが嬉しかった
母は二度の手術を無事に終え、秋も深まった頃にようやく退院した。
放射線治療も勧められたが、費用のことと通院や治療法への不安から、処方薬と三か月ごとの通院だけにした。
三か月ごとの結果はいつも緊張したけれど、毎回良好でほっとした。
退院した母は痩せ細り、歩くのもやっとだった。
引っ越しに向けて家の中の荷物をコツコツと処分しながら、少しずつ体力をつけていった。
一人では何も手につかなかったけれど、母と一緒にできることが嬉しかった。
母と並んで歩き始めたその先に、次の記録が、静かに待っていた。
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